東日本大震災が生み出したもの

こんにちは。今日は3月11日ですね。
皆さんが、”あの日”と略してしまうのは、思い出すのが嫌なせいでもあるのでしょうか?

私は今でも(嫌でも)2011年3月11日を思い出してしまいます。
当時サラリーマンではありましたが、仕事の業務で地震についても急速な対応が迫られていました。
業務に集中しながらも、高層ビル特有の揺れとNHKのヘリから放送される津波の映像、窓越しに見えるガス施設の爆発に、この世の終わり、まさにこの世の終わりだと思いました。

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9.11の飛行機がビルに突っ込む映像が衝撃的ながらも、どこか映画の世界だったのに対し、あの津波は現実に起こっていることは明確でした。
しかし、現実に起きていながら、現実的に感じなかったのはなぜでしょうか?
不眠不休で働いてたからでしょうか?
ただ単に気持ちが受け入れられなかっただけでしょうか?

2011年3月11日を境にして、多くの人が自分とは何か考えたと思います。
自分も一体、自分とは何か?何ができるのか?何か貢献できることがあるのか?
そう考えるキッカケをつくったのが、みんなが略して使ってしまう”あの日”なのです。

そういう意味では2011年3月11日、東日本大震災で失ったものは莫大なものの、それと同じかそれ以上に生み出したものも大きいと思います。

それまで、安全と言われていた原発が、実はそうでもなかった。
自然の力の前では人はなす術がなかった。
人間は思い上がっていた。
いいことも悪いことも知ることができました。
それを知れたことが本当にいいことだったのか、悪いことだったのか?正解はないのかもしれませんが、自分は良かったと思っています。

あの日は決してあの日で済ましてはいけないと思うのです。
それに気づき、行動して、やっと困難に克服したと言われるのではないでしょうか?

 

 

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